f08c47fec0942fa0 4人の障がい(個性)を持つ親としての奮闘の日々(1) | b型事業所アクセプト
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メンバーさんのつぶやき

4人の障がい(個性)を持つ親としての奮闘の日々(1)

メンバーさんのつぶやき
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精神疾患の大きな原因となるのは不眠です。不眠を解消するためのアイテム10選!をご紹介。

わたくし【Ⅾ】の子どもと夫婦の話です。
宜しくお願い致します。今だからこそ話せること。

2004年生まれ長女、アスペルガー症候郡,ADHD知的しょうがい
2005年生まれ次女、広汎性発達しょうがい(PDD)
2008年生まれ長男、自閉症スペクトラム、ADHD
2010年生まれ次男、自閉症スペクトラムADHD

また、わたしたち夫婦も、うつ病を持つ個性一家です。
個性に翻弄されながらも元気に賑やかに日々を過ごしております。

わたくし【Ⅾ】の簡単な自己紹介です。
自身も子供のころから、学校での協調性が出来ずに苦しんで日々を過ごしておりました。
授業中も算数に国語に覚えるのに、必死でしたが
なかなか覚えられず、その為学校の授業などを
抜け出す、日々の連続でした。高校も進学しましたが
不孝に走り高校を中退しました。
社会人になっても協調性に合わせるのが必至でしたが。自分の中で『仕事さえできれば社会人では偉い』という勝手な解釈で仕事に日々努めていました。なので仕事だけは、熱心にしていました。
昇格の為にSPIという本で算数、数学、国語を自学で学びました。が…それだけではない事に後で気づきました。

そんな時に妻と出会い結婚し子ども(長女)も産まれ、それはとても充実していた日々に思えました。
次の年には次女も産まれ円満な家庭に思えました。

長女と、わたし達

長女の様子が他の子と違う、生後1年で歩いたのに言葉を発するのが遅く周囲から(実親)を含む
人たちから教育(親の)成ってないじゃないか?などの偏見な言葉を浴びせられました。

当時の福祉課の方からも教育言葉や絵本などをいっぱい読み聞かせしてください。と言われましたが、
読み聞かせは常にしていましたし話もいっぱいして来ましたが、中々と言葉は発しません。

そんな状況では仕事も、捗らない。
そして、転職を覚悟しました県外、大分県に行くことを決意しました。実親からの重圧に耐えきれなくなり。転職し子どもとの向き合い方に集中できる環境を作りました。
長女が言葉を発するのに地道な時間がかかりました、保育園でも言葉が発せず、いつも怪我して帰るしまつ、先生からも長女から暴力を他の子に振るう!とのクレームでさすがに妻が精神的に病みました。
自分も仕事で失敗することが増えてきて精神的ダメージが蓄積されていきました。カタコトの言葉を、お話し出来るようになったのは4歳くらいです。

長女は常に落ち着きもなく、挙動不審で言葉を発しないため親は理解できるけれども周囲からは理解されません家では常に『あいうえお』『おはよう』とかを一緒に言葉遊びに、土日は水族館や動物園などでも言葉(魚の、お名前)を教えながらの日々、姉より先に言葉を発した次女も長女に言葉など教える状態で、長女事態も困惑していく日々。長女も妻も、わたし自身もマイナス思考に陥る日々でした。
子どもが悪いのではなく、どうすればいいのか分からなくなりました。

特集:障がいについてのページへ

発達障がい 子育て
発達障がいって、何なんでしょうね。

そして、わたしは岡山県に転職しました。
半導体の職種で簡単な作業にも関わらず失敗の連発『どうして?』その時はもう4人の子を持つ父親なのに仕事が出来なくなって、しまっていました。しまいには、職場に向かう途中嘔吐をするしまつで職場さえ恐怖を感じるようになりました、家出のプレッシャーが社会現場でも影響が出始めました。しまいには職場でも吐き気や嘔吐のしまつで妻から心療内科を進められました。

が自分が倒れるわけにはいかないと、妻や職場関係者の方に猛反発。
ある時妻から買い物行こうと誘われ…病院へ無理やり(笑)

そこで判断されたのが【うつ病】でした。妻は職場や親に連絡、職場からも理解されましたが、わたしの親からは『意思の弱さよ』と言われたそうです(笑)


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ケースワーカーさんとの出会い


そして医師からケースワーカーにも相談するように勧められ、ケースワーカーさんに奥さんと
相談に行き、これまでの事を話ししました。そうすると子どもの心療内科を進められ長女を小児科の心療内科に行き検査をしてもらいました。脳波測定などの検査です。

医師の判断は、長女、アスペルガー症候郡,ADHD知的しょうがい
       
       
医師からは『これも立派な個性です。ゆっくりとで良いので治療していきましょう』

それを聞いたわたしと、妻は思わず泣きました。子育てが悪いのではなく、そういった病気(しょうがい/個性)だったんだね!と心から救われた気持ちになりました。


まずは、わたしは外に出かけられるようにすること!子どもは普通を楽しめるよう親である、わたし達がサポートしていく!
そして周囲と孤立状態にあった、私たち家族にケースワーカーさんが細かく生きるために必要な事を
教えてくださり、それを妻が実地していきました。職場での休業手当(当時休業手当は1年6ヶ月と決まってました)と生活保護の需給が出来ることを知り、生活保護を申請しました。
ケースワーカーさんが合間に入っての申請だったので、需給することが出来ました。
そして社宅を出てアパートを借り、車も売りました。駅前のアパートだった為、大変助かりました。
家もケースワーカーさんが不動産に取り合ってくれて借りられました。
早くうつ病を直したいのと一日でも早く生活保護からの脱出を誓いながら…しかし職場からすると、うつ病と聞くと1年くらいで治るだろうと、毎日のように妻に電話が続けて有り、奥さんが会社で働いては如何ですか?毎日電話があり最初は対応していましたが、妻も疲労がわたしや子どもの、補助をしながら内職で仕事をしていました。がまだ、保育園も決まっていない、旦那も部屋に籠ってしまっている、そんな状態で家を離れられない状態でした。妻も内職で失敗(DVDの梱包作業)ミスをするようになりました。
会社も早くの復帰を期待していたのでしょう…が妻には相当な負担になりました。
その時の妻は体重も落ち、食も通らず御粥生活の日々でを過ごしている中、突然の妻の実家からの電話が、父親が心筋梗塞で倒れたとの一報が入りました。唯一私たちの事に気にかけてくれていた理解者の一報でした。宮崎に帰る準備をしていた所また悪夢の一報がはいりました父親の死の一報でした。
何とか葬儀には間に合いました、わたしも葬儀には出られましたが、わたしも無念の気持ちと、社会や非力の私自身を恨みました。
そしてはわたし自身の身体も…内科でも検診で受けた血液検査で糖尿病になっていることが解り、それが更に妻の追い打ちになり、妻も精神を病み『うつ病』となりました。わたしも妻もそんな状態の中、日々訪問してくださるケースワーカーさんに『子どもを、育てられますかこんな私たちに…?』と問いかけました、すると『もう、立派にお子さんを現在も育てられていますよ』『だって子どもは笑ってるじゃありませんか?』『だから大丈夫ですよ』とその何気ない言葉に、夫婦そろって泣きました。

『それからは地道に行こう!生きよう!』【心】に刻むのではなく【声】に出すようになりました。すると子どもにも変化が…
長女が言葉を少しづつ発信するようになりました。
そして小学校も普通に行けるGOまで出ました。
子どもの成長も楽しく長女も普通学級に行けるまでになりました。成績云々は置いといて自分らしく
そして意思を云えるように親が、その個性を理解していくことが大切で、楽しく見れるようになりました。
そしら長女にも友だちが出来て明るく学校に登校するようになりました。

妻も作業所(岡山県)に行きながら、人への不信感を取り除く作業を実地していきました。
わたしは、まだ外に出る作業が吐き気などを克服するために、まずは買い物に行く作業などを開始しました。

買い物って意外と考えながらするから(食材探しと計算)集中できるのと人が少ない時間を考えて、お店に行っていました。徐々にですが、挨拶も出来るようになり、1型の作業所(岡山県)にも行けるようになり家族(子供たちも)喜んでくれました。

そして現在


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そして岡山を出て宮崎に改めて戻ることを決意、そして現在宮崎県宮崎市のB型作業所アクセプト様の所に、に通所させて頂いております。
子どもも喜んでくれております。
まだ身内からは、理解されずにおりますが、少しでも多くの人に生きることの大切さと、病気でも頑張って、もがいて生きていることを、ご理解して頂ければと書きました。
何処の作業所でも言われる言葉があります『ボチボチで行きましょう』と…その言葉を聞くと病んでいる時も『まだ頑張れる』って気持ちになれます。
また『病気も個性として』と言ってくださった心療内科の先生の言葉にいつも勇気をもらっております。内科での糖尿病やその他の病気もよくなっており、通院が終わったらステップアップしていきたいと考えております。仕事とか関係なく『生きてりゃ~それで良いのだ』が今自分が自分で見出した答えのようなものです(賛否)は当然あるでしょうが!今の私の考え方です。

まだまだ色んなことがありますが『ボチボチで行きましょう』を自分で『ボチボチ生きましょう』に変換して言い聞かせながら作業をさせて貰っている事に感謝ですね。

皆様も『ボチボチで生きましょう』

ご観覧下さりありがとうございました。次回は長女、次女、長男、次男の面白トークでお会いしましょう。…わたし【Ⅾ】からでした。

子供の発達障がいについてサビ管の書いた記事は以下より読めます。

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