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スタッフのつぶやき精神障がいのこと

ADHDで生き辛い人へ

スタッフのつぶやき

筆者:田中恭介

初めに伝えておきたいネットのADHDについて

このブログまで足を運んで頂いたという事は少なからずとも ADHD に何かしら関わっているという事でしょうか。ADHDの当事者かも知れませんしもしかしたらご両親それか職場など間接的に関わっている立場の方かも知れません。
簡単に本記事について何をお伝えしたいかと言いますと今年30歳になるADHD本人である筆者が若輩者である身ですがこれまでの社会経験をへて発達障害が障害と言われる由縁だと感じたことを書いていこうと思います。https://yuk2.net/man/192.html

筆者がADHDだと気づいたのは26歳だった

いわゆる大人の発達障害という奴で自分自身がADHDだとはこの歳になるまで全く思っていなかった。
発達障害という障害について知ってはいたもののまさか自分が、障害者だとは思えなかった
嫌、思いたくなかった
僕は子供の頃から周りから浮いているという自覚はあった学校になじめず家族になじめず結局16歳という歳にしてかなり早い段階で社会人になった周りの同年代と比べた時に仕事を真剣にしている位しか取り柄が無いと思いあの時の自分は必死でした。

真剣に必死にやっているのにふざけていると言われ続けた

周りと比べておかしいなと思い始めたのは23歳位の時だったでしょうか。当時東京の飲み屋で喋る仕事をしていた僕はそれは毎晩の様に色んな人とお話をしていました。
社会に出始めた頃からコンビニなどで働いていましたので何となく得意では無いけど人と喋るのは好きだなと思い接客業を長年していて、何時もの様に上司から怒られながら気づいた事がありました。

その時何故怒られていたかまでは思い出せませんが確か何か仕事の提案をしに行ったんだと思います。
僕は23歳になるまでに他人より能力が劣っている事に気づいていましたのでその分、仕事に対する姿勢や行動で示そうと躍起になっていたんですね。(今考えるとこれが間違い)

やはり夜の店というのは少し荒っぽい所がありますので普通の勤め先では聞けない事をストレートに言われました。

「お前の考えは普通の人間よりかなりズレている!どこか可笑しいんじゃないのか?」

「お前の考えは突拍子もなさすぎる、現実性がない!」

「自分から聞いてきて話を聞いてないだろ」

こんな感じでしょうか今、これを書いている自分が当時を思い出して胃がキリキリしますね(汗
実際はこれよりもっといっぱい怒鳴られながら言われたのですが正直毎日のようにこんな感じで言われていたので慣れてしまっていたというのもあるかも知れません。
この時病院に行けば良かったなって後悔はしているのですが、もっと頑張ろう他人より馬鹿だから頑張ろうで誤魔化していました。なんだかんだあってこの後仕事を辞めて気づけば…

26歳 電気工事士時代

26歳の頃には友達の兄が務めている電気工事をする仕事に2年間勤めていました。
やはりここでも最初の3か月くらいは我慢してもらっていたのか凄く優しくして貰っていました
自分で言うのも何ですが10数回仕事を変えてきたもので人付き合いは得意になっていたんです。

そして何時も勤め先で環境が壊れていったように

「人が優しくしてたら付け上がりやがって!調子に乗るな!」

「返事だけはいいな!メモ取ってる意味あんのかよ!」

こんな感じで怒鳴られながら2年間勤めて最後の方には文字通り失敗して謝りに行っても信じられないものを見るような目で見られて、ため息をつかれ、無言で仕事を変わられる日が続きました。

流石にメンタル的に限界が来てクリニックに行った時のことでした
先生に今までの職場での経験、人より能力が劣る事色んな事を話した時に先生が

「ADHDの傾向が強く見られますね」

存在だけ知っていて自分とは無関係だと思っていた障害の名前が挙がったんです。

そして東京から地元に戻った僕は

病院に行きADHDの傾向が強いと言われた僕はその日の内に喋る事が出来なくなってしまいました。
今まで頑張り方が足りなかったからもっと頑張ればなんとかなる。もっと考えれば何とかなる!そう思って必死に26歳という歳まで生きてきたのに脳みその細胞が足りないと言われたんです努力なんかどうしようもない。


こんな風になってしまい仕事に行けなくなり地元に戻り2年間引籠りになってしまいました。
最初の1年は病院で正式なADHDの診断結果と手帳を発行し社会から自分自身を隔離しました。
残りの1年は就労移行支援という僕のような「発達障害や精神障害」の人が集まる場所での社会復帰を目指した施設に行きながら就職まで部屋に引籠りました。

ネットのADHD診断受けるくらいならそのままメンタルクリニックに行こう

多分物忘れが多いとか落ち着きがないなんて自覚している人はネットのADHD診断をしてみた事があるのではないでしょうか。引籠り時代色んなサイトでやって見た僕の感想としては
とりあえず大体の人はみんなADHDになる
嫌、極論を言ってるのではなくそういうの誰でもあるでしょ?みたいな質問ばかりなんですね。
ADHDの人は周りに相談した時言われたであろうこの言葉「みんなそうなんだよ(笑顔」 多分
こういうネットの診断を受けたって人が知った気になって言ってるのではないかと僕は思います。
※(介護されてる方や有資格者のこの言葉は除いて)

あと、このネット診断でADHDの可能性大!だから私はADHD!みたいな人もいますが正直に言いますとADHDや発達障害と診断された人間が生きていく上でこの上なく邪魔になる存在になります。
SNSなんかで自称発達障害を名乗ってる人は偏見ですがなんか発達というよりはただ我儘で自己主張が強く見られるただ単に人格に問題ある人な気がします。もしくは別の障害。
ファッションアイテムとして障害を使う人種が一定数います、障害の理解を遠のけていく存在ですね。

自分を障害者だと認めるのは怖い事です

僕みたいな大人になってからそうなのかも?みたいな人は特に悩むんじゃないでしょうか
だって障害者です、支援を受け、介護を受け、他人に頼らないと生きていけない。
そんなイメージだと思います。僕はそう思っていました。

ですが、いざ病院に行き診断をもらってみるとまずそんな事よりも少し肩の荷がおりました
頑張れば、まだ頑張りが足りないから、自分がまだ必死になれていないからもっともっと頑張ろう、今日が駄目なら明日、明日が駄目なら明後日。そんなしんどい思いをする事が続かなくなったんです。

そら障害者なんだから上手く行くわけないだろ

酷い言葉に感じますか?酷い言葉に感じる人は当事者になればこの考えの暖かさに気づきますよ。
障害が甘えに感じる人も当事者になれば僕と脳みそを交換してくれればそんな事言えなくなりますよ。
障害である事を認めたらほんの少しだけ楽になれます。

ADHDは甘えかどうか

正直できるものなら「ADHDは甘え」なんて事を言う人からは距離を置きましょう
正式に診断を受け申請を出せば国が補助を出す、れっきとした障害です。

そんな国が補助を出すような障害に甘えだなんて言ってる人はかなりヤバイ人なので危険です。

但し僕らは障害者であり他人にとっての障害でもある

当事者ならこの言ってる意味本当にわかりますよね?
何故か障害者の漢字を障碍にしようとかいう変な人らがいますがその理由がですね、
「害」という漢字だと周りに害を与えているように感じるから。
はあ?って僕は思うんですよね、だって害であるからここまで社会でボコボコにされるんだから。
漢字で何か変わると思ってるんでしょうね。

僕ら障害者は1人だったら害でも何でもない、人のコミュニティーに交じるから害なんだ他人の害になるから障害なんだと僕は考えています。

障害者が障害となるコミュニティーとは何か

難しい事は考えずコミュニティーとは人間同士の集まりであり、人間が他の動物より発達しているのはこの人間というコミュニティーの中での意思疎通のやり方が他の生き物より非常に優れているので現在生態系の頂点をとれているのだと思います。細かい事を言って実は人間は頂点ではないとか言い出さないでくださいね。だいたいで良いんです。

このコミュニティー内での意思疎通が肝だと考えており、これは人間としてずっと大昔から続けてきたことであり一種の「常識」という奴なのではないかと思うんです。
そしてこの常識という物が非常に大事でもし常識が通じない存在が自分たちの中に入ってきたら?そう考えるとわかりやすいかと思います。




人間が他の種より進化するのに必要だった[意思疎通][コミュニケーション]これらを侵しかねない存在それが私たち障害者なのではないかと考えています。

・例えば皆で100回続くキャッチボールをしよう!という時

みんなでキャッチボールをする時、周りの人達は100回を目指すためにゆっくりとボールを投げあっているのに対してこっちの方が楽しいと急にカーブボールを投げたり効率が悪いからと剛速球を投げたり
する人がいたらどうなるでしょうか。遊びだったらまだしもこれがイカゲームの世界みたいに命に係わる事だったら?


そうですね安定すれば100回行けるのにそれを乱す存在それが我々です、そして社会でこの100回を目指し死ぬ事は無いものの失敗すれば皆の生活に影響する。
そう考えると私達は言葉通り[障害]になります

※自分が他人に対しての[害]だと認めた上で

僕は害である事を理解した時に、思う事や物事の諦めを付ける時は別にして
絶対口に出して言わないようにしようと決めた言葉があります。
「発達障害だから出来ないんです」この言葉を使うようになってしまったら介護されながら生きる事になると思っているからです。

この発達障害って障害を僕は「両手の指が3本しか無い」そんな感じなんだと考えています。
ぱっと見じゃ気づかれずに3本しか無いと知られた後もその不便さをあまりわかってもらえない
それこそ「3本あれば掴めるし文もかけるし変わらないよ!」なんていわれるかも知れません

想像、もしくは実際に2本の指を縛って物を持ったりしてみてください。
大変そうだと思いますよね 

↓↓↓ ↓↓↓ ↓↓↓






























その想像したもしくは試した感想が他人から見た我々障害者への理解なのです。

想像した時に試した時に自然と小指と薬指を縛りませんでしたか?親指と人差し指かも知れませんよ?今考えた一瞬だけで大変そうだと思いませんでしたか?数十年単位で考えれますか?
そう、何となく理解はできるんですよね。こう物を持つとき大変だろうなとかだけど、それが親指と人差し指を縛られた状態だと思わずにちょっと楽な小指と薬指を縛ってしまう。
そういう考え方のズレがこんなに苦しいのに理解してもらえない、または障害に甘えているなんて意見が出てくる原因ではないかとぼくは考えています。
そしてこのズレを障害を持つ当事者である本人が理解していない事も問題であると深く思います。
理解してもらう事よりも理解をしてくれようとしているその事について感じる事がとても大事だと僕は思います。

就労移行支援に行って

誤解を恐れずに単刀直入に言うのなら
周りから浮いてる感覚は消えないし、増幅する
就労移行支援に行きだしてしばらくした後に感じたことはこれでした。
僕は周りの人との浮遊感を人生で凄く感じています、同じ障害を持つ人達ならばもしかしたらこの浮遊感から解放されるかもと1番期待していた事
なのですが無理でした


同じ悩みを抱える仲間の様に見えてやはり、同じ穴のムジナと例えた方がよいでしょうか・・・大体は
社会からボコボコにされた様な人間が集まり自分の障害の厄介さを理解したうえで接するのですが。

すっごく顔色を見ながら会話をしていきます。きっと皆それぞれの嫌な経験があるのでしょう他人を尊重し、笑う所でわらい、他人の感情がわからなくてもパターンを覚えてたり、空気を読んだり。

目線や、仕草がおかしくはありつつも健常者とあまり変わりのないコミュニケーション
けして打ち解けている感じは無い表面上の仲良さそれでもそんなのでも心地が良いと感じれるんです。

浮いている感覚は消えないですが実際に同じ発達障害や精神障害そして身体障害、色んな人と関わる事により同じような人間がいる事を知れました。色んな変わり者がぷかぷか浮いているんです。

就労移行支援の強みだと感じた所

僕が実際に就労移行支援に行って感じた強味を話すとすれば【障害者雇用】この枠が支援所の後押しも付いてきて面接に挑める所です。
ぶっちゃけた話をすると一度社会に出て相手を考える事ができれば支援所の訓練内容事態は意味の無い様に感じるかも知れません。
僕が就労移行支援に通っていた時に「この訓練に意味を感じないと思います」と言いながら訓練を受けていた人がいました・・・

ですが意味があります利用者目線で書くとするとこの【支援所の後押し】これが大事で簡単な事ではあるのですが訓練の様子や普段の支援所での様子それを面接先に伝えてくれるんですね!

ここが凄く大事だと思っていて雇う側に立って考えてみた時に僕ら障害者を雇うメリットを考えて見てください・・・無いですよね?でも何で雇うのかと考えたらお金なんですね。

45.5人以上雇用している企業は1人雇用義務されており【特定求職者雇用開発助成金】こちらが支給される様になるんです。では、どのような障害者が雇用できれば企業としては被害が少なくて済むでしょうか???

そうです、少しでも一般的な人に近い障害者を雇用しようとします。
障害を持っていても一般就労の人の様に働ければ企業からすれば強制されてるとは言えお金を貰いながら人員が確保できるようになるんです

逆を言えばお金を貰ったとしても雇用してる先の人間関係を壊す可能性がある障害者を雇った時に出る損害(関係悪化による離職や職場の雰囲気の破壊)を比べた時にどちらを雇うかは一目瞭然ですよね。

僕がした面接の対策はと言うと「障害者なのに障害者っぽくない」でした。

それくらいしないと障害というものは染み出てきます何とか徹底して面接に挑みましたがそれでもADHDは出てきました(笑)まあ忘れ物はしたりしましたがそれでも面接官からは「障害を持ってるとは思えない感じだね~」と言われ採用をされました。

まあ、この障害を持ってるとは思えないこれが僕らを苦しめる言葉になりますしADHDを理解されていない証拠でもあるのですが・・・一般就労で死ぬほどボコボコにされるよりましかなと思います。

現在のどうやって自分の障害と戦うか持論

自分の障害に対策をするとしてもずっと苦しめられます
とにかく逃げ道を探す事なんだと思います
他人が関わってこない自分だけの場所が必要なんだと思います
他人は必ず馬鹿にしてくるし傷つけてきます
なので自分だけの逃げ道をなんとか見つける事だと思います
逃げる事は悪い事ではないです、駄目だという人は多いと思いますが
他の人間は理解しようとしますが救ってくれません
自分を救うのは自分です

最後に私達の存在とは・・・障害を持つ個人的意見

終点が無い満員電車の中に色んな人が体の向きや身を縮めて少しでもスペースを作ろうとしているそんな満員電車。私達は体中にチクッとするトゲが生えた体で

「すみませんすみません、ごめんなさい、申し訳ありません」そう言いながら乗車してくる常識を持たない乗客なんです。
その私達が謝っていようが泣いていても、周りにいる人達は最初はちょっとだけチクッとする程度だから許してくれるんです。

それが数ヶ月、数年続くんです・・・どんな人間でも怒鳴ったりおかしくなったり電車から追い出そうとするのは当然です・・・

きっとこのトゲが離れていて見えない人は私達怒鳴っている人に「我慢してやれよ!かわいそうだろ!」なんて優しい言葉をかけてくれると思います。

ですが、それがわが身となると別ですよね最初は許してやれ!とかこんなチクッとするのは平気だ!なんて息巻いていても長年続いていく継続的な痛みに耐えられる人間なんかいるのでしょうか。
そういう長く続く痛みを与えられる事を拷問と言うのではないでしょうか。

ただ、近づけばこの痛みがあると判っている人が、私達のトゲの存在を知ってなお助けようと痛い目に遭いながらトゲを持つ私達の事を理解しようとする人がいる事を忘れないようにしたいですね

理解されなくても理解しようとしている事が有難い事なんだと思います。

それは家族であったり、支援者だったり。または逆に家族では無かったり支援者じゃなかったり
誰が手を差し伸べてくれているのかは解りません。

ですが助けてくれようとしている手は僕達を、満員電車から突き落とされようとして力が入らない僕達を引き留めている手なんだと思います。

このトゲに誰が耐えれるかわかりません。きっと何回も振り払われると思います。

掴んでくれた手が殴ってくる事もあります。

ですがそれでもその色んな手にしがみつかなければ

普通の人間ならば、まともな頭をしていたなら、こんなに恥をかかなくて済むのに。こんなに頭を下げないで良いのに。

人に嫌われたくない迷惑かけたくないそう思いながら。

伸ばしてくれる手を掴むしかないんだと思います。

それでも指し伸ばしてくれる手が無いのなら死に物狂いで誰かを掴みながらドアを掴みながらみっともなく掴むしかないんです。

この手が無くなった時の事を考えると後は地面に落ちるだけだと思います。