f08c47fec0942fa0 うつ病と闘う事を諦めた~ | b型事業所アクセプト
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メンバーさんのつぶやき精神障がいのこと

うつ病と闘う事を諦めた~

メンバーさんのつぶやき
カメラおやじ【Ⅾ】
カメラおやじ【Ⅾ】

もがいても。もがいても憂うつは付いてくる

精神疾患と1つ「うつ病」との闘いは、熾烈です。うつ病は拒絶との闘いです,日常での当たり前の行動への拒絶もあり、例えるなら,風呂さへも拒絶するような感じです。
そして外へ出ようとする事への拒絶で引きこもる…でも引きこもるは、まだ「生」への希望や「死」からの防衛です…そして眠りたい気持ちはSOSです。食べるのも拒絶で私は30Kg台まで体重が落ちていました…そして心療内科で投薬を飲み始めました…2週間までは効果は無く…徐々に真面な食事が取れるようになりましたが…まだまだでした。投薬は増える一方…入院も視野に入れられましたが、妻が『私が…家で見ます』と言ってくれて回避できました。それから1年たち奥さんが岡山県の瀬戸内市の地域支援センタースマイルの1型という所に『甲子園行こう』と言われ、通院以外に久しぶりに外にでました。そこには同じような年代の方から、年上の方々から、また色んな障がいをお持ちの方がいて
最初は緊張で、挨拶されても会釈ていどのレベルでした・・・最初はそこに置いてあっる漫画を読み過ごす日々…そこの支援センターは他の地域と違い送迎と、軽作業をしたら工賃がもらえる場所で,最初のステップといっても過言ではない所でした…ある日(奥さんも通所していて)奥さんと軽作業の職員さんと【Ⅾ】さんも『ビーズしてみないですか?』の言葉できっかけで、2階の作業場所にあがりました。
そこは同年代の方が多く緊張はありましたが…行く回数が増えるにつれ人って慣れていく生き物ですね。そこでようやく会釈から言葉で声で挨拶が出来るようになりました。そこで奥さんに言われたのが『リハビリ』だよね…とそこで『ハッ』Σ(゚□゚;)と気づきました。そうだ【Ⅾ】が今している事はリハビリなんだと職員さんからも『自分のペースとボチボチで』と言われ、投薬やカウンセリングより、当事者やこういう事業所で話す行為の方がリハビリだと、その時に思いました。

うつ病と闘う事 2

カメラおやじ【Ⅾ】
カメラおやじ【Ⅾ】

相手は自分らの事を思って言ってくれている言葉でも
当事者、病気問わず医療従事者でもない方からの言葉は

深く追い込む可能性も秘めています。

精神疾患の患者の多くの方はその疾患との闘いだけではなく、世間との偏見との闘いも待っており
奥さんはそれで病みました…私の看病より親類からの言葉や近隣の言葉で精神的に病みました。

そうなんです…精神疾患の方々は偏見という差別との闘いです。親類からは『気の弱さだ』などと声を浴びせられました。また『働かない一家(親)』などと浴びせられました。職場からも『いつ復帰できるのかの?』のクレームです。また『奥さんが働いたら良いのに!』などです。友人からも『男としてどうなのか?』と言われ必死に誤解や偏見を取り除いていく話しをいていきましたが、頭では理解されるものの、実際にの心境などは理解されずにいました。【Ⅾ】も思います…実際にならないと分からない…また癌だって同じですよね…『大丈夫です』とか『頑張って』など言われても、なってもない人から言われても奇麗語に当事者は聞こえますよね…『痛い』など本音がいえなくなる…我慢することを押し付けられているような感じです。

精神疾患の患者も同じ思いだと思います、相手は励ましの言葉で掛けている気持ちかもしれませんが…当事者も生きることに、もがいており、自分でも自分の疾患に偏見を持ち自分で追い込みます。死にたいではなく…眠りたいという気持ちで…生死がわからない状態に陥る危険性も秘めています。そこを理解してほしいですし、見守ってほしいですし、そっとしてほしい…その中から福祉サービスの方から受ける『ボチボチで良いんですよ』が一番、当事者には響きます。

なので諦めました

カメラおやじ【Ⅾ】
カメラおやじ【Ⅾ】

解ってほしい親にも親類にも

友にも説得や理解を広めることを

諦めました。

今が大事だし、今自分らを理解してくれている、また福祉サービスの方を優先した方が〝楽”です。
確かに友という形にはなれませんが…多少の理解に近い言葉をかけてくれる事のほうがカウンセリングに近い状況で、社会のリハビリになります。

また結局は、その人の生き方を見てもらう方が証明になります。

アクセプト様は『楽しい』をモットーに、運営をしておりスタッフの方々も『楽しい』というサービスを提供してくださり、ありがたいです。

どの病気でも言える事は、今が楽しいか?楽しみを見つけることが大事で、まぁルールは大事です。

当たり前の礼と敬語的言葉の発し方が尊重に繋がります。

痛い時は痛い、苦しい時は苦しい、楽しい時は楽しい、我慢せずに言える環境が大事です。そして生きている事だけで本当は尊いのでは?といつも思います。そして笑って逝けるような人生の方が尊い…だから他人を巻き込まないでも人は、いつか逝くだから、楽しめる人生、どんな形でも良いんです。ルールを守りながら生きれば良いんです。その方が尊い・・・と・・・暗いニュースやらを見て思う私【Ⅾ】の意見です。でも最後まで生きたいと思うのが本音ですよね。
生きるを=楽しむに変換できる事が尊い。



ボチボチで自分のペースで良いと思います(”v”)