f08c47fec0942fa0 ガラス工芸のお話 | b型事業所アクセプト
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スタッフのつぶやき

ガラス工芸のお話

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道探し

ホテルマンを新入社員から10年勤め、そろそろ先のことを考えて地元に帰ることにしたわたしは、次にやりたい仕事を考えていました。新しい職場を決めて退職することをしなかったのはのんきな話です。地元のホテルを探すか、サラリーマンになるか、考えていましたが、やはり元の職種に戻るつもりはありませんでした。なので、退職寸前まで周りに迷惑をかけてしまいました。

では、自分は何をしたいのか。これまでは、目に見えないサービスを作ってきましたが、今度は物が手に残る、目に見えた仕事にしたいと考えていました。手に職を覚えたい!朧気ながら考えていました。

工房巡り

ホテルマン時代、世界のガラス工芸品をそろえた美術館へ通っていました。かび臭い室内とは程遠い綺麗に輝くガラス工芸品は、引き込まれる魅力を感じていました。ほんの少し、このようなものが作れたらなと思っていました。
地元に帰り、就職活動をしながら工芸の製作所を見学して回っていました。陶芸、染め物、竹細工、漆器、木工細工、庭師、小さな手作りショップも見て回りました。

その中の一つに、ガラス工房がありました。いくつか見て廻っているうちに、過去に見た美術館での思い出が蘇り、この道が自分の道じゃないかと思うのでした。早速、その気持ちが間違いではないかを確認するために、ガラス工芸の本場、北海道を訪ねるのでした。行き先は、札幌、小樽、函館、全て観光地ですがガラス工芸のメッカです。小樽は特にガラスの街でした。工房に入るごとに体験をして、お店の方と話をして廻っていました。ガラス工房の経営は、商品販売だけでなく、観光客の体験料も大きな収入源となっているようです。また、大勢のスタッフで決まった商品を製作する工房や芸術を追及して美術品として販売するスタジオ、完全に観光客だけの為の工房など様々です。販売店舗も見て廻りました。ビル全部のガラス製品。それが何棟も立っているのです。ほぼ夢見心地で呆然と、しかしすべてを見て廻りました(その後7回訪れることになります)。
たどり着いた結果は、やはりこの道でやっていこうでした。

ガラス工芸の道へ

ガラス工芸と言っても様々です。吹きガラス、ステンドグラス、グラヴィール、カットグラス、切子、エッチング、バーナーワーク、とんぼ玉、アクセサリーいろいろです。
これらを単独でやっていらっしゃる方は、お一人か二人位でやっている小規模工房なので、わたしの入る隙間はありませんでした。まあ、自分のやりたい物もはっきりとはしていませんでしたが。

転機となったのは、ある大きなガラス工房に見学に行った時でした。そこは、あらゆるガラス細工を製作する総合ガラス工房でした。作家先生を有しお弟子さんが何人もいらっしゃる工房です。観光用の造りをした制作工房に常設販売所、美術品のコーナーもありました。余談ではありますが、わたしはガラス工房でのオルゴールのBGMが大好きです。心が和みます。

制作工房は、炎との戦いです。指示する叫び声が、轟音にかき消されます。ガラスの溶鉱炉は、1300度近くになります。スタッフの皆さんは冬にも関わらず、汗だくです。
わたしは、その風景をずっと見ていました。オープン時間から閉店まですっと見ていました。連続して3日間もするとスタッフと話ができてきます。まだ、工房に勤めたいことは話していません。
閉店後、制作工房の親方と話ができました。

行き当たりばったりでした。無謀とも言います。
履歴書もなしに入社(弟子入り)をお願いしました。
親方は驚いた様子はありませんでした。3日間も覗かれていれば、ただならぬものだと予想はしていたようです。明日、履歴書を持って社長に合うように言われました。話を通してくれていたようで、ラッキーでした。翌日、入社が決まりました。

ガラス工芸という仕事

わたしが配属された場所は、吹場でした。30歳過ぎの新弟子です。周りは困惑していたようですが、自分では一から出直しと思っていました。
吹場の仕事は、朝早くから始まります。炉の中の状態確認、その日の制作道具の配置、給水準備、制作打ち合わせ等、終わったら製作開始です。
吹きガラスの基本は、拭き竿にガラス種を取り息を入れ手で転がし、さらに炉のガラスをからめ、また吹きながら大きくしていきます。入りたてのわたしは、拭き竿の補充や炉のゲートを開け閉め、職人に熱が当たらないようにします。自分は腕に火傷を負いますが、勲章みたいなものです。
ガラスは、すぐ熱が冷めるので、素早く再加熱しなければなりません。炉に向かう職人の行き道を邪魔しないように待機する場所取りが難しかったですね。
拭き竿の完成品を竿に取り移すポンテという繋ぎガラスを竿に作らなければなりませんが、これを作る練習と取り付けの実践をやりました。吹きガラスの作業は、見てる上では楽しいものですが、実際にやるとなると冬でも60度近くなる室内に作業を追いまくられ、かなりハードな仕事です。水分補給を絶えずしていないと脱水症状になります。結局わたしは仕事を覚えながらのハードな作業に吹場の仕事は1か月と持ちませんでした。

さて、ここで他の行っているガラス工芸を紹介しましょう。温度の落ちたコールドグラスを既定のサイズに整える擦り場での作業、商品の最終的に加工する磨き場での作業、筒ガラスを板ガラスに広げる保温庫でを使った作業、装飾・アクセサリーを作るバーナーワーク、装飾を付けるデザインの仕事、家具等に組み付ける作業、カットグラスである切子等があります。

吹場での仕事を断念した私でしたが、幸いにも営業職か切子の職か選択できました。ありがたい話です。元から制作を希望していた私なので、切子の職を選びました。また一から出直しです。

切子という仕事

切子というガラス工芸をご存じでしょうか?
あまりメジャーな名称ではありませんが、ガラス工芸では由緒あるカテゴリーです。今では全国各所で作られているカットグラスですが、大きく分けると関東地方の江戸切子、鹿児島の薩摩切子が有名です。

切子とは、初期は透明の透きガラスでお猪口やコップを作り、金剛砂と角棒で削って切り込みを入れて磨いて製品にしていましたが、江戸時代からは、透きガラスに色ガラスを表面にまとい二層や三層の色被せガラスを削って色残った部分でデザインを浮き彫りにしました。その頃には角棒からホイールのグラインダーで削るようになります。基本的に透明ガラスと色ガラスの二色ですが、わたしが務めた工房では、三色被せガラスに挑戦していました。ガラスは色を重ねると表面は黒くなるので、表面の色が発色できる配色が難しかったです。
江戸切子は、柄も繊細で細かいデザインが印象的です。薩摩切子は、一時は制作されない時期があったのですが、1985年に復刻されました。 色被せが厚く、角度の浅いカットによってカット面に綺麗なグラデーションができるのが特徴的です。江戸切子に比べると質実剛健な感じを受けます。

余談ですが、ガラスに鉱物を加えて溶かすと色ガラスができます。さて、金を入れると何色になるでしょうか?
答えは淡いピンク色で、金赤と言われています。当初は薩摩切子で使われていましたが、今では全国の切子に使われています。

切子をカットするガラスは、ガラス生地と言われます。この生地は、工房で作る内製品と他の工房で作られる外注品とあります。内製品は、形の複雑な一点モノや大物を作り、外注品は、お猪口やタンブラー、ワイングラス等既定の大量生産品に使います。内製品は先に規定値に合わせる加工をしなければなりません。金剛砂を使って削って調整していきます。削ったり磨いたりしてカットに備えます。外注品はそこまで施されていますのでそのままカットできます。

カット作業は、いきなり生地にカットを入れるわけではありません。生地に金色のペンで割付という線を引く作業をします。これは、ある程度ここをカットする通過点の目安を引いておくのです。全てのカット面を引くわけではありません。あくまで目安です。
ここでポイントです。切子に有ってはならないものがあります。生地の中の泡です。泡のない切子は、とても価値があります。なのでカットすることで、泡を削り取れるように割付をすることも大事なのです。

カットする柄は、ある程度決められています。昔から伝わる伝統的な柄を組み合わせてデザインしてあります。初めは、お手本通りカットすることから始めます。ある程度彫れるようになったら、次はスピードです。ミスが多くなるので注意しながらのカットです。ガラスなので、一発勝負です。やり直しは効きません。緊張とストレスのかかる仕事です。製作時間は、カットだけで小さいものでも2時間はかかります。最後にミスをすれば作業時間は無駄になり、そのガラスは商品になりません。

カットの方法ですが、カット台の椅子に座り生地を両手に持ち、グラインダーの上から押し付けます。つまり、ガラスを通してグラインダーの刃先を確認できなければならないのです。明るい場所でなくては、カラスは透けないのでカンテラは必需品です。なので被せガラスは色が薄くなければ光が通せないので色被せの厚さも大事なのです。
グラインダーで削ると、刃先とガラス面に摩擦熱が生じます。これはガラスの破損の原因になるので、絶えず水をかけて、冷却と削りカスの洗浄を行わなければなりません。
グラインダーは、粗目~細めのカット面があります。まずは粗目で大きく彫り、細目で仕上げながら彫っていきます。しかしどんなに細目のカットをしても、透明にはなりません。せいぜいすりガラス程度です。この部分は、カット作業の後磨き作業があります。

磨き作業もカット作業と変わらず、カット面をゴム製や特殊素材のホイールで磨いていきます。細かい部分は、リューターを使ったりもします。それでもカット面は多くあります。これ一本一本磨いていたらきりがなく、カット面をつぶしかねません。そこで、特殊加工を専門とする下請け工房に、硫酸で磨いてもらうのです。磨いてもらった商品でも、液だれなどの修正作業があります。布バフやブラシに研磨材を付けて磨いて仕上げます。

これで、ほぼ完成です。製作時間はまちまちですが、タンプラ―サイズで、2,3週間かかります。大手の切子工房と違い、少人数で制作しているので大量生産はできません。ミスして一個でも破損したら大ロスです。なので切子はぎりぎりの奇跡のラインで作られているのです。どうしても高額になるのは仕方ありません。余談ですが、たまに安価な切子を見かけます。これはカット数も少なく、カット面の合わせ目もバラバラ、磨き作業も足りないので光沢もありません。あまり切子としては認めたくはありませんね。

新しい発想を

既定のカットを長年していると、何か新しい柄に挑戦したくなります。もちろんその頃の切子業界は、どれも似た伝統的な柄で作られていました。違う工程で作られることをタブー視している雰囲気さえありました。
わたしは若いころから弟子入りした職人ではない異質な立場にいましたので、既定路線に違和感を感じていました。そこで、自分なりに現在の柄をオマージュしながら新しい柄と商品を提案することにしました。切子は日本の伝統工芸品です。カットグラスは世界中にありますが、切子は日本をイメージしています。そこで日本のデザインに西洋器を合わせようと考えたのです。例えば、ぐい呑みに変えてカップ&ソーサーに彫ってみる等、色んなものと和を組み合わせてみました。わたしの工房では、比較的自由な発想を取り入れる環境にあったので、何回かのデザインリテイクで制作許可が通りました。
まあ、そこからが大変でした。

所詮、わたしが書いた吹きガラスの図面は二次元デザインです。製品にするには職人の三次元イメージが必要です。打ち合わせが何度もありました、お互いのイメージがぶつかります。二次元デザインには三次元にすると矛盾点もいくつもあります。たまにはけんか腰もありました。互いの良いものを造る意地みたいなものでしょうか?おかげで話がまとまると、それからは速いです。
流石職人です。イメージ通りの生地を仕上げてきます。できたものは保温庫で一晩ゆっくり冷却させます。うまくできていなかったら割れていることもあります。これは、色ガラスは、色によって膨張率が違うからで、冷却時に収縮する際にその合わせ目からひずみが生じて割れてしまうのです。
明日になるまでドキドキです。

翌日、保温庫を開けます。生地はまだ熱い状態ですが破損の確認をします。3個作って1個以下の破損位でしょうか。泡の入り具合も見ます。泡だらけであれば、形が良くても使えません。残り一個になることも只あります。たくさん作ればよいのではと思われるかもしれませんが、限られたガラス種の量と他に制作するものがたくさんあります。自分の制作するものだけに構っているわけにはいかないのです。

早速、切子工房に持ち帰って、いらない箇所にカットを入れて放置します。これは、形は完成していても先の膨張率の問題で、内部の被せガラスの合わせ目が張った状態になってないか確認するためです。膨張率が異なっていれば、カット面からビリと言われるクラックが入って最後には破損してしまいます。問題がなければ生地加工に入れます。

うまく完成しました。初めての製品なので3か月はかかりました。良い出来でしたが、賛否はありました。やはり伝統の工芸を重んじる人には抵抗があるようです。当然です。まだ実績のない者が新しい商品を作ったのですから。喜んでくれる人もいたので、今後の励みにもなりました。
それからは次々と新作を造りました。何かに突き動かされているようでした。特大の物も造りました。価格は信じられないくらいの高値になっていきましたが、これが次々と売れていくことが不思議な感じでした。本当は嬉しいのですが、あまり現実感を感じませんでした。より新発想の物が増えていきました。

お披露目

工芸品は、造るだけではだめです。販売しなくてはなりません。常設販売所は2カ所、お土産にも置かせてもらっていましたが、それだけでは高額商品は売れません。イベントが必要です。
ほぼ全国やアジアの国を周る展示会があります。もちろん地元でも百貨店の催事場で行われます。設営は、百貨店の店員さんだけでは間に合わないので工房社員一同で入り、展示数が多いので設営は深夜までかかります。販売もそうで、工房には最低限の人数だけ残して、職人も販売の手伝いをします。もちろん販売のプロもいるのですが、造った者の思いを直接伝えることも有益になるとのことでした。
作品を手にもって、拙い言葉使いで説明するのですが、お客様が興味深く喜んで聞いてもらえると、それだけで嬉しいのでした。

年に一度、様々な工芸作家が集まってのイベントもありました。これはもう祭りに近く、今回も社員一同で在庫一掃セールをするのです。この時は、お弟子さんが作った安価なコップや花器をお客様と話しながら値段を決めて販売します。切子は、もともと値段が高いので安くはならないのですが、どうしても取れなかった泡入りの商品をB級品として販売していました。高値で躊躇していたお客様にも納得して買ってもらえたのは嬉しい反面、複雑ではありました。できれば完全な商品を持ち帰ってもらいたいからです。これは制作者からの思いです。
しかし、お金を持っていらっしゃる方はいるものですね。2つ並べて迷っているのかなと思えば両方買っていくし、レジ待ちの間に高額な商品を追加してくるし、現金払いだし新しい世界が見えました。
イベントは楽しく憧れて見ていた世界に入れてよかったと思えるのでした。

ガラス工芸とは

初めは、今考えてみれば雰囲気の憧れで入ったガラスの世界でしたが、すっかり製作者、職人の世界に入り込んでいました。物造りをしたかったわたしは目的を達成できました。しかし新たな想いがあふれ出るのでした。より良い品物を造ろうと。すっかりガラス工芸の沼にはまってしまいました。
しかし、見た目は綺麗でファンシーな世界のガラス工芸品もこんなにも過酷な環境で制作されているとは、わたしもはじめは思いもしませんでした。これからガラス工芸品を購入される方、製造販売を希望される方には、このような裏の物語も知ってもらえたら嬉しいです。

あなたが、良い作品に出合えたら嬉しいです。

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ガラス芸術の本場ベネチアを唸らせた技術と装飾 西洋と日本の文化を融合させた高い精神性 ――

世界を魅了するガラス作品はいかにして生まれたのか。
ガラス工芸作家 黒木国昭を育んだものとは何か。
第一部では、その生い立ちからガラスとの強烈な出合い、そして修業時代を丹念に振り返り、世界が認める技術がどのように確立されてきたかが語られています。
第二部では、作家として活動するなかで自ら実践してきた哲学、真摯に向き合ってきた日本の伝統文化に照らし見る、現代日本への提言をまとめています。

ガラスに向き合い、ガラスとともに駆け抜けた50年――先達に学び、自己を徹底して分析し磨き上げてきた「現代の名工」が発信する、現代若者へのメッセージでもあります。
季刊『道』の連載に書き下ろしを加え、60ページにわたる作品集とともにお届けします。

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